今日は重いテーマに挑戦です。
豚のと畜(屠畜)についてです。と畜、つまり豚を殺すことです。
なかなか一般消費者の方々は直接関わる機会はないですよね。
でも、とても身近な食材である豚だけに、日本では1日約7万頭のと畜が行われています。アメリカではなんと1日約45万頭のと畜が行われています。
つまり、私たちの生活を構成する上で豚のと畜はとても必要とされていると言えそうです。
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私は、大学で畜産を学び、現在は食肉にかかわる仕事をしております。
そのため、と畜現場に実習(学生時代)や視察(仕事)で何度も入っています。また、大学では鶏のと畜を実際に自分で行ったこともあります。
豚のと畜の様子や思う事について書いてみたいと思います。
目次
どこでと畜されるのか?
農場から出荷された豚は、豚肉加工工場へ運ばれます。
豚肉加工工場は、豚をと畜し、部分肉と言われる状態まで加工する工場です。
豚肉加工工場へ運ばれて来た豚は、係留場という休憩スペースで数時間安静に過ごします。
と畜方法は主に2通り
実はと畜は単に殺すのとは違います。
畜産動物のと畜は、当然食肉を目的とします。肉に血が残っているとおいしくありません。
そのため、と畜は放血といって頸動脈にナイフを刺して動物から血を出す工程が必要です。
心臓が動いている状態で、頸動脈にナイフを刺すことで初めて放血できます。
えっ生きている状態でナイフを刺すの?と思われるかもしれません。半分はその通りです。
まず豚に気絶をさせて、心臓が動いている気絶状態にします。その気絶状態の豚にナイフを刺します。
前置きが長かったですが、その気絶状態にする方法が主に2通りあります。
一つ目はCO2と畜(ガスと畜)です。豚をCO2が充満したスペースに数分閉じ込めます。すると豚は気絶状態になリます。
もう一つは、電殺です。豚に高圧の電気をあて気絶状態にします。
現在、豚肉加工工場では、CO2と畜を採用したり、電殺からCO2と畜に変更する流れが強いです。
見ていても、電殺よりもCO2と畜の方が豚の苦しみが少ないように見えます。また、CO2と畜の方が肉質が良くなると考える人が多いです。
と畜について思うこと
と畜を見ていて一番衝撃的なのは、放血の行程です。頚動脈を作業者の方がナイフで一突きすると、蛇口から出る大量の水のようにドバドバと血が出ます。
時にはその血が飛び散って、私たち視察者の体につくこともあります。
見ていて良い気分はしません。と畜スペースは生暖かく湿度が高いです。臭いも独特の豚臭さを感じます。
だけど、私は視察できる時は必ずと畜現場を視察します。
やはり、自分の仕事は豚の命をいただいて始まると何度でも再確認する必要があると思うからです。
私たち業界人はどうしても日常の仕事の時に、売上だ、利益だと数字のことばかりを注目してしまいます。数少ない現場視察の時は自分たちの商売の原点を再認識する貴重な機会であると感じます。
ただ、私はと畜の視察した日でも平気で豚肉を食べます。というか、業界の人でと畜をした後は、肉を食べられないという人は見たことがありません。
それは、何故なのかは自分でも良くわかりません。何度も家畜動物はペットではないと教え込まれているからかもしれません。また、実際私はと畜を避けては、仕事をして自分の生活を成り立たせることもできません。それが、身体でもわかっているからかもしれません。
まとめ
と畜はまず一般の方が直接目にすることのない事です。
そのため、余り考える機会も無いかと思います。また、社会全体としてもあえて拡散していくことではないとされていると思います。
豚のと畜について、少し興味をもっていただけたでしょうか?
と畜に対しては、様々な意見が昔からあり、動物を食べない宗教があるくらいです。答えのないテーマなんだと思います。
私たち日本人が食事の前に手を合わせて「いただきます」と発声するのは、きっと食べ物に対する深い感謝を表現しているのだと思っています。
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